管理人のプロフィール

初めまして。「わにてぃ」と申します。このブログを見てくださりありがとうございます!

僕は元々意欲的でポジティブな人間です。しかし、メンヘラ彼女を支えることと職場の環境変化が原因で適応障害という精神病を患いました。
結果として、まともに仕事ができない状態となり半ばバックれるような形で強制的に休職に入りました。

休職中に自分の人生について真剣に考えた結果、職場には戻らず仕事を辞めました。

その後、ネットビジネスで生きていく方法を考えたり、北海道でスキー場のリゾートバイトに行ったけど、わずか3週間で帰ってきたりと迷走していました。

紆余曲折ありましたが、2018年12月現在、別の会社に再就職し3ヶ月が経ちました。今では毎日元気に過ごしています!

メンヘラ彼女と悪環境の職場が原因でうつ病一歩手前になり、人生に絶望していた僕ですが、以前のように心身ともに健康に戻れました。

このサイトでは、僕の経験談を元に彼女の束縛や仕事の環境に苦しむ人が少しでも楽な気持ちになれるような記事を書いています。

それでは以下、僕のプロフィールと経歴をご紹介しますね。
大学卒業から今に至るまで。

わにてぃの経歴

  • 名前:わにてぃ
  • 生年月:1991年5月
  • 性別:男
  • 出身:茨城
  • 職業:食品製造 → システム保守 → 無職 → 金属加工業

大学卒業後は食品製造業に就職

地方の4年制の国立大学を卒業した後、僕は地元の食品製造会社に就職しました。初の社会人経験で当時の僕は非常にやる気に満ち溢れていましたね!

この会社は12時間勤務かつ夜勤有りの交代勤務で週1休みという肉体的につらい環境でした。

でもですね、僕もそれを承知の上で頑張ってましたし、きつい仕事を共有していることもあって人間関係はとても良かったですね。みんなで会社のことをボロカス言いたい放題言いながら、日々の仕事をこなしていました(笑)

これは健全とは言えないと思いますが振り返ってみると良い思い出です。なかなか楽しいものでした!

つらいことも多かったですが、笑って過ごすことも多かったのです。なのでこの会社で精神を病むことはありませんでした。

ITコンサル会社へ転職

とは言っても、やはり労働環境に厳しさを感じていたので、入社して1年半ぐらい経った頃に転職活動を始めました。とにかく交代勤務と長時間労働がつらかったので、完全週休2日で日勤だけの会社を探していました。仕事内容にあまりこだわりは無かったです。

そして、無事一社のITコンサルティング企業から内定を頂けたので、食品工場を辞めこちらに入社しました。

厳しい肉体労働から解放されたのは良いものの労働環境がガラッと変わりなかなかのカルチャーショックを受けました。これは騒がしい工場内を動き回っていた環境から静かな社内でデスクワークの環境へ変わったわけですから当然のこと。

とは言っても、人間なんだかんだで慣れるものです。2,3ヶ月程で新しい職場にも順応していきました。

そして入社8ヶ月ぐらいですかね、早くも新人教育を任されるなど新しい仕事も波に乗ってきました。同時に職場のみんなとも仲良くなってきて楽しくなってきました!

この頃が僕の人生の最高潮と言っても過言ではないです。

うつ病の彼女と付き合っていく中で変化していく心

そして人生の最高潮と時を同じくして新卒で入社していた女性と縁があり、交際が始まりました。この女性がうつ病を患っていたんですね。いわゆるメンヘラでした。

しかし当時の僕は非常にポジティブだったので、それぐらいなんともないぜ!とのんきに構えてました。

が、これが大きな落とし穴でした。

うつ病の彼女はとにかくネガティブでした。

「こんな病気の自分は生きている価値が無い。死にたい。」
「なんでLINEの返信くれないの?好きじゃない?」
「もう嫌いになったんだね?じゃあ婚活するね」
「もうだめだぁ」

など、日々ネガティブワードを浴びせられたり心を揺さぶられるようなことを言われ続けました。

また、メンヘラ故に僕以外の多くの男性社員とも非常に仲が良く、嫉妬心を揺さぶられることも多々ありました。メンヘラの女性はかまってちゃんであることが多いので、男は寄ってきやすかったりします。(他の男性社員との2ショット写真とかを送られたのは結構きつかったです)

やめてくれと言っても、口では分かったと言うのですがやめてくれなかったですね。(ただ今になって分かるのですが、これらは全てうつ病の症状がもたらしていたものです。当時の彼女が悪いとは思いません。)

最初は前向きに接していた僕でしたが、だんだんと自分の心が彼女に支配されていきました。

とにかく、彼女が不満を言わないように、悲しまないようにどうすれば良いのかばかり考えているうちに自分が分からなくなり思考停止に近い状態になってしまったのですね。

これがいわゆる共依存ってやつだったんだと思います。

これが付き合い始めて3,4ヶ月程度の頃です。

関連記事:「メンヘラはやめとけ」メンヘラと付き合った結果、人生が転落した話をしようと思う

そして、そんな付き合いが続いたころ職場の業務にも変化がありました。

慣れた部署から別部署へ異動

辞令により僕は部署異動となりました。

今までやってきた業務から離れ新しい仕事を覚えていくことになります。(元々部署変更が多い会社なので別にこれは珍しいことでは無かったです。)

以前の僕であれば、前向きに意欲を持って新しい仕事に取り組んでいたと思います。

しかし、彼女に心が縛られていた僕に新しい仕事をこなす余裕と意欲はありませんでした。仕事を頑張ろうというかつてのやる気は失われており、上司や先輩から指摘されることが増え、さらにやる気が無くなっていく…という最悪な悪循環でした。

以前とはまるで別人。抜け殻のようになってしまっていたのです。

当時の僕はこの段階で初めて自分の精神が何かおかしいということに気づき、診療内科にかかりました。そこで診断されたのが冒頭でお話した適応障害でした。

適応障害は以下のように定義される精神病です。

適応障害はある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。 たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。
(厚生労働省のHPより引用)

ある特定の状況というのが、僕にとっては「うつ病の彼女を支えることを常に考えながら職場の新しい仕事に取り組む」だったんですね。これが非常に耐え難く、仕事にならないぐらいに精神が病んでしまったのです。

会社のことを考えるだけでトイレで吐いたり、会社を休んではベッドで一人涙を流したりしていました。
今客観的に振り返るとやはり異常だったなと思います。

そして、付き合いもうまくいかなくなり彼女とも別れることになります。

そして休職へ

そして、2017年8月中旬に僕は休職に入りました。

関連記事:僕が休職に入った手順

復職せずに退職

3ヶ月の休職期間中に僕は色々な本を読んだり、自分の今までの人生を振り返ったりしていました。

これからのどうやって生きていこうか、どのようなライフワークを目指していこうか…

どうしたら幸せになれるのだろうか。

自分の人生について真剣に考えました。

その結果、僕は正社員として生きることは辞めることを決断しました。

正社員では経験できないことに挑戦したい。

会社に依存せず自分の力で稼いで自分に自信を持って、自由に生きたい。

そして、同じような志を持っている人たちと知り合って、切磋琢磨する人生を歩みたい。

こう思ったのです。

もしかしたら、独立する生き方は僕には向いていないかもしれません。

でも、やってみないとわからない。向いていなかったらまた正社員を目指せばいい。

そう思っています。

ただ、最初から諦めるようなことはしたくありません。

※2017年11月の頃のお話です

リゾートバイトに行くも3週間で帰ってくる

そして、会社の退職を機に今までできなかった新しい経験をしてみたいと思うようになりました。

そのひとつとして、リゾートバイトというものがありました。簡単に言えば、観光地でのバイトです。

僕はスキー場のバイトをやってみようと思い、2017年の12月から北海道へ行きました。

当初はスキー場が閉園する4月までいる予定でした。しかし、慣れない寮生活が非常にストレスでした。また、スキー場のバイトで得られるものはほとんど無いと感じ、わずか3週間で静岡の実家に戻ってきました。

関連記事:リゾートバイト8日目にして早くも辞める決心をしました

関連記事:リゾートバイトをするメリットは何ひとつ無いことが分かった

実家に戻りひたすらネットで稼ぐ方法を試みる…が

とりあえず実家に戻った僕にはやりたい仕事なんてありませんでした。しかし、とにかく組織に属するのが恐怖だったので、どこかの会社に入るという選択肢はこの頃はありませんでした。

インターネットビジネスや通販などで稼ごうというありがちな考えになっていました。しかし、そんなに甘い訳は無く、なかなか結果が出ませんでした。

そして、そんな生活が2ヶ月程続いた頃に自身の心情に変化が現れました。

数ヶ月前は組織に属することが嫌で嫌で自由に生きたいと思っていた僕ですが、いざその自由がずーっと続くと言葉にできない不安に包まれるようになったのです。

これはお金を稼いでいないということからくるものではありませんでした。

ひどい孤独感が原因でした。

毎日行かないといけない場所も無く、誰からも必要とされずにただ消費するだけの日々。

気分を晴らそうとランニングしたりジムで体を鍛えたりもしていましたが、根本的な孤独感の解消にはなりませんでした。

この生活を通して、自分が本当に欲しいものは自由なんかでは無く、仕事を通して誰かから必要とされることだということに気づいたのです。

そして、会社で仲間たちと一緒に働く素晴らしさに気づき、また就職活動を始めることにしました。

だが、誰かと働く恐怖感は簡単には拭えない

仲間と一緒に仕事をしたいという気持ちはありましたが、誰かと働くのが怖くて仕方ない気持ちもまた強くありました。これは前の会社で受けたトラウマが原因です。

トラウマになる前までは、仕事自体はそんなに好きなものではありませんでしたが、恐怖を感じたことはありませんでしたからね。初めての感覚でした。

また、やりたい仕事も無かったので就職活動は全然進みませんでした。

職業訓練校に通うことを決意

毎日、「ホワイト企業が多い職種」「人間関係が良い職場」なんてキーワードで検索していました。

その中で、僕と同じように適応障害で職場を退職した方が、職業訓練校に通いホワイト企業に就職したというお話を見つけました。

そのことがきっかけで、僕も職業訓練校に通うことにしました。

仲間ができ、人と接する恐怖感が無くなった

僕が通った職業訓練は「溶接」の技術を学ぶ科です。現在、溶接工のような職人を目指す若者が減っているということで、「それなら俺がやってやろう」と思い、この科を選びました。

期間は6ヶ月です。ここには僕のような20代から50代の人もいました。みんな各々様々な背景があってこの訓練所にきていました(前の仕事に飽きて新しいことを始めたい人、僕のように前の職場の人間関係が原因で辞めた人、なんとなく面白うそうできた人)。

当時仕事もせずに毎日ぐうたらしていた僕は劣等感に塊でしたが、同じような仲間ができたことで少し心が晴れました。

また、同じような境遇の人たちが集まるので次第に仲良くなっていきます。訓練の先生も優しく接してくれて、人と接するのが以前のように楽しくなったのです。

 

溶接の仕事をしたいと思うようになる

僕は最初から溶接の仕事をしたくて訓練校に来たわけではありません。ただ、とりあえず就職先の候補として選択肢を増やせればいいなぁ程度でした。

ですが、熱心な先生と他の生徒の方たちと一緒に技術を学んでいくうちに溶接の楽しさに徐々にのめり込んでいくようになりました。

そして、入所して3ヶ月経ったころには溶接を一生の仕事にしたいと思うようになったのです。

金属加工の会社に面接し、無事通過。就職が決定

溶接の仕事をしたいと思うようになった僕は、10社以上の会社の見学をさせてもらい、本格的に就職活動を始めました。

そして、その中で一番自分に合ってるなと思う会社に面接させてもらい、無事内定をもらいました。

やはり若手で製造業を目指している人間が減っているようで、「是非きてください」と歓迎してくれました!

 

就職してから毎日が健康そのもの

そして、入社させてもらった今の会社ですが、いい人ばかりで以前抱えていた人間関係の悩みが嘘のように無くなりました。

やりたい仕事ができていて会社に行くのが楽しいです。

以前の僕なら絶対にありえないことでした。毎日が苦痛の連続でしたから…

仕事がうまくいくようになると自然と毎日が楽しくなります。現在では、心身ともに健康な日々を過ごせています。

 

このブログについて

そんなこんなで休職に入り、退職に至り、最終的にはやりたい仕事を見つけ、再就職した僕が、自身の経験をもとに人生について綴っていくブログです。それが少しでも似たような状況に苦しんでいる方の励みになれば良いなぁと思っています。

精神的な病気はどんな人でもかかり得るし、必ず治る

1,2年前は仕事に前向きでポジティブだった僕でも、環境が変わるだけでこんなにも落ちてしまうものなんだなぁと自分自身えらく実感しています。

そしてこれは誰にでも起こりうることだと思います。

ですので、もしあなた自身が人生つらくなったり適応障害やうつ病になったりしてもネガティブになる必要は全く無いのです。自分も人間なんだなぁぐらいに捕らえればよいと思いますよ。

そして、辛い日々は必ず終わりがきます。僕も人生に絶望しかない状況が1年近く続きましたが、今では精神的にも充実しており、以前の自分が戻ってきました。