不幸な無職と幸せな無職の決定的な違い

「嫌な仕事をしているのと、無職はどっちが幸せなのか」

誰もが一度は考えることであり、現代人の永久の課題です。現代は誰もが無職になってしまう可能性が常にある時代だからね。

会社が潰れてしまったり、リストラされたりね。

あるいは僕のように精神病にかかってしまい、会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれる可能性もあります。人間はね、そんなに強くありません。

突然の失業は誰にとっても他人事ではないのですよ。

現在、バリバリ現役で働いているあなたももしかしたら、仕事が無くなってしまうかもしれません。

では、実際に無職になると不幸になってしまうのか。

あるアンケート調査によると、無職の88%は不幸だと感じているそうです。不幸な無職多いなぁ。

でも、反対に12%の無職は幸せなんだね。だから、 無職=不幸 の公式は成り立ちません。

88%の不幸な無職と12%の幸せな無職、いったい何が違うんでしょうか。

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不幸な無職の特徴

まずは不幸な無職の特徴を見ていきましょう。

消費活動のみ

不幸になりがちなのは消費活動しかしていない無職です。

仕事が無いから、毎日テレビを見て、漫画を読んで、ゲームして、Youtube見て…

一見幸せそうに見えますね。うん、確かに楽しいですよ最初は。

でもね、ずっと世の中のコンテンツを利用(消費活動)することだけを続けていると自分の存在価値が分からなくなるのね。

会社で働くと嫌でも生産的な活動をする。そのときは、それが当然なので多分自覚はありません。

しかし自分が何もしていない、世の中のためになっていないということに気付くとものすごくつらいのです。

例えお金に余裕があっても消費活動しかしていない無職は不幸を感じます。

お金に余裕が無い

お金が無いのに働いてない。

生活できない。

これは言うまでもなく不幸を感じる要因のひとつです。

求職中である

仕事を探しているけど全然就職先が見つからない。

仕事したいけど、雇ってもらえない。

いつまでも仕事が決まらない無職は不幸を感じます。

自分に負い目を感じている

周囲の目を気にして、他人と比較する。

そうすると無職である自分に負い目を感じてしまいます。

あるいは、仕事をまじめにこなし、周りからの信頼が厚かった充実していた過去の自分と比べて落ちぶれている自分が嫌になる。

このような人は不幸を感じています。

引きこもり

仕事が無くなると外に出る理由が無くなります。

無職になりたてのころは、開放感から頻繁に外出します。

しかし、その内それにも飽きて何もする気が起きずに引きこもるようになります。

そのまま引きこもり続けるとますます自分の存在価値が分からなくなり不幸を感じます。

SNSを見ている

FacebookやTwitter,InstagramのようなSNSを見ていると、どうしても友達や元恋人の現在を見てしまいます。

しかもSNSには基本的には充実した内容しか投稿されません。まぁ、つまりリア充の巣窟のように見えてしまいます。

無職で何もしていない自分がそんなものを見てしまえば、嫌でも比較してしまいみじめになります。

現状に満足していない無職がSNSを見てしまうと不幸を感じます。

幸せな無職の特徴

それでは反対に幸せを感じている無職はどのような特徴を持っているのでしょうか?

見ていきましょう。

何かしらの発信(生産活動)をしている

幸せな無職が絶対にやっていることは「何かしらの発信(生産活動)」です。

幸せな無職は、社会に何かしらの発信をして価値を提供しています。

  • ブログ執筆
  • Youtube投稿
  • ボランティア活動
  • 音楽、動画制作

とかね。なんでもいいんですよ。

人の幸せってね、自分自身で自分の価値を感じられることなんですよ。

「俺は誰かが喜んでくれるコンテンツを世の中に提供できている」

そう感じることができれば自分には価値があると思える。それが自信になる。

自信があれば堂々と生きることができる。

毎日が楽しくなる。

そして幸せを感じる。

アウトプットをしていれば社会との接点できるので無職でも幸せになれます。

社会に認められている

そして無職でも社会に認められていることが幸せに繋がります。

例えばプロゲーマーのウメハラこと梅原大吾さん。

彼は、今でこそ世間に認められた大物です。

現在は本を出したり、講演会を行ったりもしていますね。

しかし、当然ながらプロゲーマーが初めから社会的に認められていたわけがありません。

そりゃそうだ、聞こえは無職と変わらないもの。

そのときはウメハラさんも相当つらかったみたいです。幸せでは無かった。

しかし、彼のゲーマーとしての能力とパフォーマンスが話題を呼び、それにメディアが注目し始めました。

そこから徐々に社会に認められ始めたのですね。そして、今は幸せだそうです。

やはり、どんなことをやっていようとそれが人に認められるということは人生の幸福に大きく関わっています。

無職が不幸になりがちなのは、世間に認められないということも大きな要因なんですね。

逆に自分が発信したもので誰かが喜んでくれて、結果的に社会に評価されて認められれば無職でも幸せになれます

お金の心配が無い

お金に余裕がないと、焦ります。

幸せな無職はお金の心配がありません。

開き直っている

自信があるからこそできる芸当ではありますが、幸せな無職は自分に負い目を感じていません。

「無職でもいいじゃん」

こう思っています。

定期的に外出している

不幸な無職は引きこもりがちですが、幸せな無職は引きこもりません。

カフェや図書館、スポーツジムなど定期的に通って外出する機会を自ら作っています。

体を動かす習慣がある

無職に限った話ではありませんが、人は体を動かさないと落ち込みがちになります。

幸せな無職はそのことを知っているので、散歩やランニングで体をリフレッシュしています。

SNSを見ない

幸せな無職は決して自分と人を比べません。

だから、そのきっかけとなるSNSを見ることはしません。

実際に無職になった筆者はどうなのか

さて、ここまで書いてきた僕も過去無職期間がありました。

じゃあ、その当時をどう感じていたのかというと。

幸せとは言い切れないが、少なくとも不幸では無い

といったところでした。

仕事がつらかった時期よりは間違いなく幸せです。

でも、ただだらだらしている日々を送っているときは間違いなく不幸でした。

時間がある分、元カノのSNSとかも見てましたね。なんと女々しいか…

でも、やっぱり不幸を感じなくなってきたのはブログを始めてからです。

今まで仕事で人の役に立ってきた僕も、無職になるとただの人です。

これね、ただの人になるってこと。本当につらい。俺は何者なんだ?ってなります。

それが、ブログをやっている間は少なくとも「わにてぃライフ」のわにてぃさんになれるわけです。

このブログを通してメッセージを送ってくださる方もいらっしゃいます。

そんなとき、

「あぁ、無職でも人と繋がれている」

と安心した気持ちになったことは今でも覚えています。

まぁ色々な感情が混じっていましたが、間違いなく言えることは必ずしも「無職=不幸」ではないよってこと。

無職は可能性の塊

無職にも良いところってあるんですよ。

それは、時間があること。

無職の時間は無限大です。

故になんでもできます。無職は可能性の塊です。

無職になると、あなたが思っている以上に無気力になってしまい絶望します。

この無気力、絶望に打ち勝つことができれば無職であることは大きなメリットです。

もし無職になってしまったら

まずはブログをやるといいよ。

結構、無職ブロガーってたくさんいます。僕もそのうちの一人でしたが。

苦労の末、無職になってしまったあなたの経験は必ず誰かに需要があります。

それに、自分の思いを文にするのってなかなか気分転換になるんですよ。自分の思考の整理にもなるし。

そのうち、人生の切り開き方もきっと見えてきますよ。

まとめ

現代は誰でも無職になり得る時代です。

僕自身、無職になるなんて思いもよりませんでした。

その前はめちゃくちゃ充実してましたからね。仕事も人生も。

でもね、無職になったからと言って絶対に不幸になるわけではありません。無職でも幸せにはなれます。

もちろん、そのためには色々と自分から活動する必要がありますがね。

無職になって第二の人生が始まった気持ちです。

無職になって終わりではない。

ここからが始まりなんですよ。

ここまで読んでくれたあなたが今後より良い人生を歩むことを心から応援しています!

 
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